アンチの非日常的日記

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書評『フーコー入門』(中山元)

フーコー入門 (ちくま新書)フーコー入門 (ちくま新書)
(1996/06)
中山 元

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 本書はフーコーの考えを、フーコーの生き方とともになぞるものである。フーコーは前期と後期で考えが変わった、などと批判されることがあるが、フーコーの考え全体に一貫したものが読み取れる、と著者はいう。
 《「わたしが試みているのは、診断すること、現在の診断を実行することです。それは現在の<われわれ>とはどのようなものであるか、現在われわれが語ることには、どのような意味があるかを明らかにすることです」》とフーコーは語る。その意味で、フーコーは<現在>の哲学者であった。これがフーコーの思考の根底にある考えである。
 フーコーの用いる方法で特に重要なのは、考古学と系譜学と呼ばれる二つの方法である。考古学(アルケオロジー)とは「われわれの足元を掘り下げること」であり、系譜学という方法では《知の客体の歴史ではなく、知の主体の歴史性を問おうとする》のである。
 個人的にもっとも印象に残ったのは、第四章「真理への意志」である。フーコーは権力を外から見るのではなく、その《主体の内部から、現実的なものを生み出している力》として理解する必要があると考えた。パノプティコン(一望監視装置)の原理が現代社会の至るところに行き渡っているという指摘は、意味深い。パノプティコンとは、ベンサムが考案した監獄のモデルのことで、中央に監視塔があり、その周辺に監獄が配置されているものである。《重要なのは、この装置では、中央の監視塔に監視者が常駐している必要がないことである。監視される者の心の内側に、第二の監視者が生まれる》のであり、《「権力を自動的なものとし、没個人化する」装置である》。そしてパノプティコンは個人の欲望を取り去り、《道徳的な主体、服従する主体としての個人》を作り出す。ここでは魂が身体の牢獄となる。近代社会は監獄という監視装置をモデルにして、工場や学校、病院といったものが作られた。そうした意味で近代社会は監視社会なのであり、そうした原理が行き渡った学校で主体の形成の技術である試験が行われ、真理を教えつける構造となっている。
 《人々が真理だと信じているものが、実は歴史的な根拠から作り上げられたものにすぎず、普遍的なものでも、絶対的に正しいものでもないということを示すことによって、自明で見慣れたものと考えられていたものを覆すこと、これはフーコーの終生の課題であった》。ニーチェの批判的精神を20世紀においで受け継ぎ、発展させた思想家、それがフーコーであると感じた。
 全体的にフーコーの用語がたくさん出てきて、その用語を整理するのが少し大変だが、用語の意味は本文中におさえられているので、それをきっちり抑えておけば平易に読めるようになっている。難解なフーコーの思想をよくほぐして、わかりやすく書かれている。著者はわかりやすい翻訳を出すことで有名だが、この本もその点では変わりなく、読んで良かったと思った。フーコーの著作を読む前に一読しておくとだいぶ概観が掴めてよいだろう。
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